2021年9月から、会員+αの皆様によるコラムを隔月で掲載することにしました。

初回は専務理事の相川康子が「防災月間に寄せて」のテーマで書いたものを掲載します。NPO政策研究所としても、地区防災計画の策定支援などに積極的にかかわっていきたいと思っています。

[縄文文化の片りんを感じさせる三内丸山遺跡]


 

 今も息づく縄文文化

2022年5月1日

澤田 修(NPO政策研究所理事・香芝市在住) 

 

あることで10数年前から土偶ファンになった。今では土偶から、古代史としての縄文時代に関心が広がっている。縄文文化は奥深くロマンがあり、知ることは楽しみである。

旅行で、遺跡を訪ねるのも楽しみだ。4年前に三内丸山遺跡に訪れる機会があったが、書籍で読むのとは違う印象を受けた。歴史を知るには、現場に行くべきだと感じた。

 

縄文時代や弥生時代が認知されるようになったのは、ほんの50年程前からにすぎない。なぜ縄文時代は1万年も続いたのか。あのような土偶・土器がどうして生まれたのか。縄文文化がどのようにして弥生文化に引き継がれていったのか・・・今なおミステリーである。

1万5千年ほど前、気温上昇によって海面が上がり、ユーラシア大陸から切り離されて、島国・日本が誕生した。この辺境の島国で、縄文時代が1万年も続き、しかも独自の文化を築いた。辺境地だったからこそかもしれない。

 

遺跡の発掘は今なお進んでいるが、調査技術の進歩により、様々な発見がある。例えば、縄文人は狩猟採集で、その日暮らしの生活をしていたと考えられていたが、青森県の三内丸山遺跡の発掘によって、自然を計画的に管理し、自然との共存・共生の道を歩んでいたことが明らかになった。貝塚からの人骨により、筋萎縮症の肢体不自由者を、成人になって亡くなるまで面倒を見ていたことも分かり、さらに専門の武器がないことから、争いが相対的に少ない社会を築いていた、と推察できる。

 

縄文文化なくして、次の弥生文化は生まれなかった。稲作は、弥生時代に入ってからとされるが、私は縄文人は農耕を拒否してきたのではないか、と考えている。それはなぜか。稲作による生活の変化の問題点を知っていたからではないか。環境問題を意識し持続可能な社会をつくるうえで、今こそ縄文人に学ぶことは多い。

2010年に「百舌鳥・古市古墳群古代日本の墳墓群」が世界遺産に登録された。古墳は宮内庁が管理し、現在も残って形態が分かり、古墳にまつわる物語も作られる。一方、縄文遺跡は全国にあるが、その多くは土の中にあり、復元でしか見えない。北海道・北東北の縄文遺跡群は、都市化されず遺跡として残ったのだが、都市開発が進んで遺跡がつぶされていくのを残念に思う。

 

そんな中、2021年に「北海道・北東北の縄文遺跡群」が世界遺産に登録された。あの魅力的な土偶や土器が生まれた理由を探る上でも、保全と調査研究がさらに進むことを願う。縄文文化は、現在の我々の生活にも引き継がれているのだから。

 

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